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今朝は快晴の予報に誘われたのだろう。珍しく十数名の登山者が笹子駅を降り立った。
新田まで歩いてもたいした距離ではないが、今回はバスを使った。待ち時間を利用して「みどりや」の笹子餅を買う。5個入¥410を2つ、お土産兼非常食のつもりだ。目の前の甲州街道はひっきりなしに車が往来しているが、バスの利用客はごく僅かだ。山間部の路線バスは乗客が減少して旗色が悪い。運行継続のため、微力ながら協力しよう。
終点新田でバスを降り旧甲州街道を歩きだした。しばらく行くと「矢立の杉」を示す道標に導かれ、舗装道路から離れ遊歩道に入る。初代甲州街道なのだろうか、落ち葉が積もる幅2mほどの小道が続いている。
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矢立の杉 |
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矢立の杉は、その昔、戦場に赴く武士が武運を祈って、この杉に矢をいたてたという。杉にとっては迷惑な話だ。なるほど史跡になるくらい見掛けは立派な巨木だが、内側は筒状のガランドウだ。中に潜り込んで見上げると高窓のようにぽっかりと穴が空いている。
再び舗装道路に戻り30分も歩けば笹子トンネルが現れる。この道は今でこそ「県道212号日影笹子線」とあるが、昭和33年に新笹子トンネルが出来るまではれっきとした「国道20号線」として首都圏と山梨を結ぶ幹線道路だった。曲がりくねった狭い道で車のすれ違いもままならなかっただろう。このトンネルが開通したのは昭和13年とある。それまではその真上にある峠道を江戸時代さながら旅人や牛馬が歩いて往来していたのだろうか。
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初代笹子トンネル |
笹子峠 |
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トンネル脇の駐車場から始まる山道を5分も登れば笹子峠に立つ。今となっては往時を偲ぶ史跡も無く、単なる山道の分岐でしかない。ここから笹子雁腹摺山へ急斜面をよじ登るように縦走路が始まっている。弱い冬型の気圧配置で青空が広がっているが、尾根を渡る強い風が吹いていた。この山域は中腹にいくつかのトンネルが通っているが、稜線上は送電線が走っている。二つ目に現れる送電線の基部に立つと正面に笹子雁腹摺山が聳えている。急登を一登りすると山頂に飛び出した。既に正午近くになり沸き立つ雲に富士山や南アルプスは頭を隠している。
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笹子雁腹摺山から富士山 |
笹子雁腹摺山山頂 |
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ここで引返すことも考えていたが、好天に誘われてお坊山まで足を延ばすことにした。笹子雁腹摺山は三角錐の形をしており、登りが急だった分、下りもうんざりするほど急な道だ。この先には米沢山、お坊山の間に小さな瘤が連なっており、小規模ながらも縦走気分が味わえる。
途中、踏み跡に誘われて小ピークの端に立つと笹子方面の展望台だった。富士山や道志・丹沢の山が見えるはずだが、もうひとつはっきりしない。ヘロヘロになってたどり着いた米沢山頂でカップヌードルの遅い昼食を摂る。
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稜線から紅葉の山肌 |
米沢山 |
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お坊山は3つの小ピークが連なっている。勝手に西峰、中峰、東峰と名前を付けた。最初の西峰に山頂表示がある。今日は雲で隠れていたが、北西が開けており絶好の南アルプス展望台だ。次の中峰にはベンチがあり、正面には大菩薩や滝子山を望むことができる。先回はここから大鹿峠経由で景徳院に降りたが、同じコースでは芸が無いと考え、東尾根を辿ることにした。大鹿峠への縦走路から東に外れたもっこりした小丘が東峰だ。ここにもベンチがありゴロリ横になって小休止する。後ろを歩いていた二人組は大鹿峠に向かったのだろう。すぐ後ろに聞こえていた話し声はやがて遠ざかっていった。誰もいない静寂な山頂だ。
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お坊山東峰 |
棚洞山過ぎのベンチ この辺りで迷った |
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東尾根はブナやミズナラの自然林が続く好ましい尾根道だ。足首までもぐる落ち葉が道を覆っており、あまり歩かれていないようだ。まともな道標はない。しかし所々にベンチが作られ不安は無い....それなのにどうして間違えたのか?恥ずかしながら棚洞山を過ぎたあたりでクロスする作業道に迷い込んでしまった。道は尾根を外れ、どんどん下って行き、ひっよこりと林道に飛び出した。どうやら道証地蔵のちょい手前あたりのようだ。時間的なロスは殆ど無かったが単調な林道歩きにうんざりした。桜公園で締めのコーヒータイムを取りながら今日のコースを振り返った。
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桜公園 |
吉久保入口バス時刻表 |
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