信長の夢の跡、安土城
2023.03.05

安土城を降りると信長様が出迎えてくれます

最近、山登りに加え山城巡りに嵌っています。お城紀行のコーナーを新設しようかとも思いましたが、日本にある城は3万とも5万とも言われています。これまで登った山にも山城が築かれており結果的に城を訪問したことになり区分けする意味が無いと思い、これまで通り山登りのコーナーで合わせて記述します。
さて今回の訪問先は戦国の覇者信長とそれに対抗した浅井・朝倉氏の居城です全国旅行支援に便乗し以前から狙っていた山城探訪に滋賀・福井へ遠征しました。青春18切符を使った清貧な旅です。涙ぐましい私。
早朝一番に弘明寺を発ち昼過ぎに米原に到着、ホテルに荷物を預け、この旅最初に登城する安土城に向います。安土駅から登城口まで往復1時間。城内を廻って1時間。合計2時間のコースでした。やっぱり信長は凄い。


2023.03.05
安土駅13:30−13:45セミナリヨ史跡公園−14:00ハ見寺拝観口−14:30天主台14:35−15:00拝観口−15:10百々橋口−15:30安土駅

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セミナリヨ史跡公園
信長の支援で宣教師オルガンチノによって創建され安土城と共に焼失した
安土駅から15分、ここから大手口まで15分

安土城はハ見寺の所有地、拝観料として700円払う

直ぐに大手道の石段が迎えてくれる

大手道の両側に家臣団の屋敷跡が並ぶ
入口に一番近いのが前田利家と向かい合う羽柴秀吉の屋敷
その上に柴田勝家、更に徳川家康と当時の上下関係を示している
秀吉が一番下っ端なのに一番広い屋敷跡なのが面白い

現ハ見寺の鐘
ご自由にどうぞの張り紙に誘われて一打。

黒金門
本丸等の中核部へ続く一番堅固な桝形門

今は礎石が残るだけの天主台跡
多くの天守は戦時防御を意識した無骨な建築物なのに対し
信長自身の住居として使用されており内装も豪華絢爛だったそうだ

旧ハ見寺の三重塔
信長が建立し安土城焼失の際にも残った

旧ハ見寺跡広場から西の湖
当時は直下まで琵琶湖が迫っていた

大手口桝形虎口

西側に回り込むと百々橋口
登城する家臣団やハ見寺に参拝する住民が通行していた
今は管理上の都合で閉鎖されている